2010年10月26日火曜日

立ち止まったら溺れる

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パソコンで入力してマクドナルドで更新してるので、一日遅れになってますが、ご了承ください。昨日、と書いてあったら一昨日のことを指します。

2010/10/25

朝、友人たちが見舞いに来てくれる。精神科に入院したことない友人もいたので、若干心配だったが、どうやら気にしすぎていたみたいだ。友人もこのブログを読んでくれているようなので、嬉しい。

昼過ぎに、大橋氏からネットブックを借りる。iPhoneだとあまりにも長文には向いていないので、どうしてもキーボードがついているパソコンが欲しかった。ありがたい。こんど飯を奢ろうかな。

「すみませーん!」「すみませーん!」「ナース」「ナース」と叫んでいる男性患者がいるのだが、まったく無視されている。夜になるとかならず叫ぶから、看護師も無視を決め込んでるようだ。病院も、このような患者に疲れているのか、不調を訴える患者には厳しい。そもそも精神疾患では死なないというのが大きいのだろう。助けを求めているうちは大丈夫だと。以前、ここに入院したときは、いきなり首をつって自殺した人がいたけど、そういう人は看護師に不調を訴えたりはしない。

入院にすればなんとかなるなんて、思ってる人はいないだろうけど、本当になんともならないのが救いがない。

「大人が子供を壊すとき」
今一生 2005年

「家を捨てよ、街へ出よう」
今一生 1998年


僕が今一生さんの本を読んだのは、確か中学生3年生のころ、「日本一醜い親への手紙」シリーズだったと思う。
昔、僕の家は、酷い抑圧的な家庭で、父親の完全支配地域だった。
ちょっと気にくわないと、怒鳴ったり、暴力をふるうような父親であった。素行の悪い人ではなくて、真面目過ぎなんだろう。今では父は自分のことを「アスペルガー」と言っていて、自分の性格と少ずつ折り合いをつけているようだが、僕が中学生を卒業するまで、それは恐ろしい暴君として家庭に君臨していた。いつもおびえて暮らしていたし、特に父親が自分たちの部屋に近づく音に異常に敏感になったりしていた。例えば、ある時間(21時とか)以降はテレビを絶対観てはいけないとして、少しでもテレビの音がすると怒鳴り込んできた。
そして翌日はテレビ禁止とかされるのだ。だから僕たちは常にテレビの電源スイッチに指をかけてテレビを観ていたのだ。少しでも緊張が緩めばテレビを捨てられる。でも、それでも映画とかを観てた。現実から少しでも逃げたくて。
当時は親なんてこんなものなのだろうかと憎んでいたが、今考えると異常なほど行動を制限されていたと思う。

話は戻るが、そんな生活を送っていたので、今一生さんの本は衝撃的だった(当時はクリエイト・メディア名義だったので、今一生さんの名を知るのは大学に入ってから)ああ、自分の家だけじゃない!こんなにも苦しいのは僕の家だけじゃないんだ!と中学生の時に思った。当時、第一志望の高校に受からなかったときに、定時制高校に行ったのも、少しでもこの家に居たくないという気持ちからだった。


小学生の頃から神経をやられていて、今現在、精神病院に入院しているのは人生を振り返れば自然なことなのかもしれない。今一生さんの00年代前半までの本を読んでいると、どんどん封印していた記憶が蘇ってくる。

人生の軌道がのってるときは、どうも記憶を封印したがる傾向にあるらしい。というか忘れてないと前に進めないのだろう。

ヘンリー・ダーガーのドキュメント映画「非現実の王国で」を観た時も記憶の蘇りが怒濤のごとく押し寄せてきたが、最近はどうしてこういう性格になってしまったのか考える機会が多い。それは過去への責任転嫁なのか、正直に自分に向き合ってる証拠なのか。僕は向き合ってるからだと思いたい。


子供の頃、絶対なってはいけない大人像というのが、無職で精神病院に入院している大人だった。当時はそうなることを想像するだけで恐ろしくなったものだ。そして今、そうなってる。小学生の頃に恐れていたものが現実となっている。一番恐れていた姿に!
でも想像してたよりは、辛くないけど。

高校の頃、アルコールとカフェインのODでバッドトリップしたことがあったが、そのときは狭い畳部屋で孤独に一人、夕日を観ている初老の未来の自分が見えた。生きる希望も絶望もなく、ただ無気力に生かされている人生。
高校生の時はそれは絶対なって欲しくない未来であったが、このままいくとそうなる。
僕はびびってる。前に踏み出す勇気なんて二十代前半で削がれてしまった。
この年で完全に手探りなのは、一つも積み上げてこなかったから。
だけど少しずつでも前に出ないと。人生を後悔のレールから変えたい。なんにも見えないけどね。

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